About

天若湖アートプロジェクトとは

天若湖ってどこ?

「天若湖/あまわかこ」は京都府南丹市日吉町にある、日吉ダムによって出来たダム湖です。「桂川/かつらがわ」の中流域と上流域の境目にあたり、京都駅から北西へ約40km、電車で1時間の位置にあります。ダム建設によって5つの集落(宮村、世木林、沢田、楽河、上世木)が水没、2つの集落(中村、小茅)が移転しており、もともと「天若」と呼ばれていた地域であったことから、現在は天若湖と名付けられています。
天若湖アートプロジェクトは、「あかりがつなぐ記憶」をメインプログラムとして開催しつつ、上流と下流を繋ぎ、自然や社会のことを考える様々な実践を行ってきました。

普段の天若湖の様子(画像クリック/タップ)で拡大されます。
img_3342.png 61805598_2134509823264574_9107107697353818112_o.png img_3386.png img_3387.png


あかりがつなぐ記憶

天若湖アートプロジェクトのメインプログラム「あかりがつなぐ記憶」は、2005年から続けられています。日吉ダム建設に伴って水没した5つの集落の、家屋があった場所をGPSによってわりだし、その真上に当たる湖面にライトを設置することによって、かつてこの地域にあったはずの夜景を再現する、全長4kmにわたる巨大アート作品です。大学の学生を含めた数10名のボランティアスタッフにより設置、開催されています。

「あかりがつなぐ記憶」の風景(クリック/タップで拡大表示されます)
  img20201022103750139330.png 宮村(奥)と世木林(手前) img20201022103750191680.png 日吉ダムと宮村 img20201022103750273311.png 沢田(手前)と世木林(奥)

あかりがつなぐ記憶
紹介シート

 
天若湖アートプロジェクトでは、2009年にガイドブック「あかりがつなぐ記憶 天若湖アートプロジェクト」(キョートット出版)を刊行しました。その冊子にある「あかりがつなぐ記憶」の紹介ページです。天若湖の地図上に、各集落の名前や家屋の配置を載せているほか、原案を作成してくれた学生(2004年当時)へのインタビューも掲載しています。
画像をクリック/タップすると拡大してご覧いただけます。


Memories On The Lake
あかりがつなぐ記憶2013

2013年度に制作された5分間のイメージムービーです。水没した各集落の場所にライトが設置され、そこにあった家屋の連なりが再現された様子が編集されています。サウンドトラックはCube(K5)氏、山崎久勝氏の録音した天若湖水中の音を活かした音楽になっています。
 


Concept

天若湖アートプロジェクトの目指すもの

                 <序>
 私たち天若湖アートプロジェクト実行委員会は、平成17年(2005)夏より、夜の湖面にかつての村々のあかりを灯す「あかりがつなぐ記憶」を中心に、「天若湖アートプロジェクト」を実施してきました。
 私たちは「天若湖アートプロジェクト」の趣旨を、初年度に公けにしています。そこに挙げられた基本的な考えは、今も変わることはありません。それは、真新しい湖面に地元の方や流域市民が触れる機会を創り出し、活き活きとした場としていくこと(新たな湖面利用の提案)を通じて、上下流の共感形成に資する(流域連携)というものです。
 この間、地元及び流域内外の多くの方のご支援をいただき、またいろいろな交流が生まれました。繰り返し訪れるうちに、私たちの日吉と天若への思いにもさまざまな変化がありました。
 そこで今般、7年間の活動の中での気付きを踏まえ、趣旨文「天若湖アートプロジェクトの目指すもの」の改訂を行うことといたしました。
 天若湖アートプロジェクトは、アート分野に留まらないさまざまなグループの連携によって運営されています。本趣旨をご一読いただき、さらなる地域活性化の契機として、あるいは新たな表現を拓く場として、より多くの人々に関わっていただき、役立てていただくことを期待しています。


 日吉ダムは、桂川流域の治水と京阪神地域での水需要の増大を受けて、平成10年(1998)に完成したばかりの新しいダムです。「地域に開かれたダム」のコンセプトのもと、温泉等多くの施設が建設され、多くの来訪者に利用されています。平成16年(2004)に は、湖面利用のルールも定められ、新しい公共空間である湖面が幅広く市民に開放されることとなりました。

 しかし、新しい水面である天若湖は、地域の歴史文化に根ざした人との関わりを持っていません。バス釣りに代表される釣り客のボートが見られる他には、湖面を利用する人はあまり見られません。
  かつてこの地には、桂川とともに生きた集落がありました。昭和63年(1988)に日吉町によって編まれた「日吉ダム水没地区文化財調査報告書」は、今は平坦な水面と なっているこの場所に、豊かな生活文化をもった村があったことを伝えています。そして、地域の自然とともにあったその集落が湖底に消えたのは、比較的最近のことなのです。

 わたしたちは、この真新しい場所に昔に負けないくらいの生き生きとした息吹を取り戻したい、と考えます。そして、そのためには、地域の方々の思いとダムの意味を、川とのつきあい方や考え方も異なる流域のさまざまな人々が知り、共有しながら、この場所に触れていくほかないのだと考えます。

 しかし上下流の人々の間をつなぐには、ことばだけでは不十分です。その環境を生きてきた人々の実感と、それを消費してきた人々の一般論とは、それらがことばにされる時、すれちがってしまうことが多いのです。それを越えるものとして、私たちはアートを見つけました。

 アートは結論めいたものを示すものではありません。また地域の問題を解決するものでもありません。しかし、生きた時代やことば、属している集団や共同体を超えて問いかけます。それは社会に現れたり潜在したりしている、さまざまな課題に気づきを与え、同時に人々を繋いでいく力を持ちます。

 天若湖アートプロジェクトは、風景とアートの力によって、水没地域、地元そして流域のそれぞれの人々が、ともにこの場所に触れ、地域固有の魅力や課題を感じ、それについて考える機会を創り出します。この経験は上流と下流との共感を創り出し、天若、日吉地域のみならず桂川流域、ひいては淀川流域全体の環境への、人々の意識を更新していくものと考えます。

 アーティストだけでなく、むしろ市民自身が新しい天若湖の姿を生み出し、提示し続ける。そうしたかつてないアートのかたち、流域連携のかたちが、天若湖アートプロジェクトなのです。(2011年5月)